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東日本大震災の被害

7月1日に仕事で岩手県の気仙地域に出かけ被災状況を調べてきた。

住田町の仮設住宅

県立高田病院。ここでの患者さんやスタッフが亡くなられた。4F建ての建物だが、4Fまで津波に流されてしまった。

県立高田病院の前の交差点から市役所方面を眺める

県立高田病院の前の交差点から奇跡の松。

県立高田高校。ここも2F辺りまで津波が襲ったことが伺える。

高田松原のあった辺りから市役所方面。名勝高田松原のあったところは一本の松もなかった。

高田松原のあった辺りから市立体育館、高田高校。市民体育館は災害があった場合の一次避難所として指定されていて避難されてきた方が多くの方なくなった。

同じく市民体育館


さらにアップ。手前の鉄筋建てとおぼしき建物が傾き津波の力のすごさを改めて思い知らされる。

仮の陸前高田市役所。訪れた時は7月議会の初日だった。


市役所(当時)の前から市民会館。市民会館も一次避難所として指定され、多くの方がなくなっている。

市役所。ここも屋上まで津波で浸水し多くの死者を出した。


市街地が本当に綺麗さっぱりなくなっていた。復興会議は浸水しない地域でと言うけれど、そんなところは本当に山しかない。その方針を貫徹すれば多くの人は再び住み続けることができなくなると感じた。机上の空論ではなく地元のみなさんと一緒になって議論をして、地元の声や知恵、希望に添ってということが本当に大切だと言うことを実感した。

リンク: 河北新報ニュース 岩手48避難所、津波浸水 陸前高田80人犠牲.

岩手48避難所、津波浸水 陸前高田80人犠牲

 津波などの災害が発生した際に真っ先に逃げる1次避難所について、東日本大震災で岩手県沿岸部11市町村(宮古市を除く)の全411カ所のうち48カ所が、浸水被害を受けていたことが河北新報社の調べで分かった。陸前高田市では半数以上が浸水し、約80人の犠牲者を出したとされる避難所もある。防災計画における避難所指定の全面的な見直しが求められそうだ。

 陸前高田市職員の佐々木英治さん(38)は3月11日、地震発生直後に逃げ込んだ市民体育館の光景を鮮明に覚えている。海側の窓から水が一気に流れ込み、水位は高さ35メートルある体育館の天井まで約40センチに迫った。
 佐々木さんは天井のはりにつかまり、海水との隙間に顔を出して呼吸した。「もう駄目だ」。死を覚悟した時、幸運にも水が引いた。佐々木さんによると、体育館に避難していた約80人のうち、生き残ったのは3人だけだった。
 市民体育館は海岸から1キロ離れた市中心部に位置する。市防災計画で1次避難所に指定され、住民からは「体育館の2階に避難すればまず大丈夫」と言われていた。佐々木さんは「避難所にたどり着いた人まで命を落とすとは信じられない」とうつむく。
 死者・行方不明者2300人以上を数える陸前高田市では、1次避難所68カ所のうち半数以上の35カ所で浸水。市民体育館のほかに県立高田病院、高田小、気仙小などの避難所でも避難した人たちが多数亡くなった。
 同市の戸羽太市長は「浸水予想の地図を作るなど国、県とともに津波に備えていたが、想定をはるかに超える津波だった」と手の打ちようがなかったと明かす。
 岩手県沿岸部11市町村で陸前高田市のほかに1次避難所が浸水したのは大船渡市6カ所、釜石市4カ所、山田町2カ所、野田村1カ所で、計48カ所が浸水した。111カ所を抱える宮古市は調査をまだ終えておらず、被害施設数はさらに増えるとみられる。
 各自治体の防災計画は、過去の大津波や想定される宮城県沖地震による津波に備えて作られている。これを上回る津波だっただけに、担当者たちは大きな衝撃を受けている。大船渡市防災管理室は「今回の津波は今まで築き上げた防災対策をすべて壊した。すべてを作り替えなければ、亡くなった方が浮かばれない」と防災計画を抜本的に見直す構えだ。(盛岡総局)


2011年04月14日木曜日


リンク: 東日本大震災 - 一般社団法人 共同通信社 ニュース特集.

【指定避難所の被災】水没、多数の命奪う 専門家「再検討が必要」

 東日本大震災では、安全とされた自治体指定の避難所の多くが流失したり浸水したりした。壊滅的被害になった岩手県陸前高田市の中心部も同様。市は高さ10メートル程度の市民体育館と市民会館を一時避難所に指定したがいずれも水没、多くの若い命が奪われた。専門家は「今回は行政を責められないが、指定の誤りを指摘せざるを得ない」と強調、避難システムの再検討が必要としている。

 ▽学校にいれば

 県立高田高校の水泳部員9人は3月11日午後、海沿いの温水プールにいて練習前の昼食中だった。大きな揺れの後、避難のため施設職員に市民会館まで車で送り届けられ、最上階の3階に駆け上がったところで津波を受けた。部員は離れ離れにならないよう腕を取り合ったが濁流にのまれた。

 市民会館は水没。2年生マネジャーの柴田勝美さん(17)ら6人が会館などで遺体で見つかり、佐藤千明(さとう・ちあき)さん(17)は行方不明のまま。生き残った2人は建物内の一室で天井付近にできた空気だまりに顔を出していて一命をとりとめた。

 高田高校に残っていた生徒約250人は、学校裏手の高台にあるグラウンドに逃げて全員無事だった。佐藤さんの母良子(りょうこ)さん(45)は「市民会館より高校の方がプールから近かった。避難訓練にも慣れていたし、学校に送ってくれていれば」と唇をかんだ。

 ▽低い場所

 一方、市立小友中学の野球部員8人は放課後、プール近くの複合商業施設に映画のDVDを買いに出かけて被災。係員に誘導されて市民会館の東約400メートルの市民体育館に向かったとみられるが、付近で全員が遺体で見つかっている。

 同じ商業施設にいた地元の男性(76)は自分で決めていた高台に車で避難し無事だった。「あんな低い場所は感覚的に危ないと思っていた」。市民会館や体育館が避難所になっていることに普段から疑問を抱いていた。

 2施設は市街の平地に立ち、結果的に津波にのまれないだけの十分な高さがなかった。一度浸水すれば次の逃げ道が得られないなど構造的な問題も浮かび上がる。

 陸前高田市によると、一時避難所は、過去の災害を基準にした津波被害予測をもとに選定。高台の神社などのほか、市街地の公民館や小学校など計68カ所が指定されていた。1960年のチリ地震では2施設の付近まで津波はこなかったが、今回は半数以上の避難所が浸水被害を受けた。

 ▽人命助かる方策

 防災計画に詳しい関西学院大の室崎益輝教授は「阪神大震災の教訓が生きなかった」と指摘。神戸では過去の地震規模から震度5強程度の揺れを前提に建物をつくり、想定を上回る震度7の直下型地震に耐えきれず、大きな被害を招いた。

 「津波対策は専門家の間でも3階程度の建物で大丈夫とする空気があった。過去の経験則に縛られてしまった」。室崎教授は自戒を込めて話す。

 ではどうすべきなのか。早稲田大の柴山知也教授(海岸工学)は「防波堤が破られ、防潮堤を越える想定外の津波でも人命だけは助かる方策が必要だ」。6階以上で屋上に非常用ステップを備えた避難ビルの計画的配置や、浸水してもより高所に逃げられるルートの策定を提案している。

(2011年4月 3日)


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